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カンボジアに学校を!! 〜国際貢献〜

弊社社長である曽和が佐世保JC(佐世保青年会議所)の理事長を務めていた2008年。JC記念事業としてカンボジアに中学校を建設しました。曽和は今でも毎年カンボジアを訪れ、交流を深めています。
 
 

カンボジアの孤児院で1週間のホームステイ

そもそも私とカンボジアとのかかわりは2001年にまで遡ります。当時から私は佐世保青年会議所のメンバーでしたが、さらに県内7つのJCから出向したメンバーで構成される長崎ブロック協議会のGTS委員会にも所属していました。そこで日本とカンボジアの中学生の交流事業という計画が持ち上がったのです。
 

訪問にあたり当初の候補地は2箇所ありました。1ヶ所は首都から離れたバッタンバンという町、もう1ヶ所は首都プノンペンからほど近い場所でした。その時は最初の事業でなんのノウハウもないということから、プノンペンの首都の郊外にある孤児院に決定しました。日本からは数人の中学生を連れていき、1週間ホームステイしました。その事業は地元のテレビ局が後援してくれて、テレビ番組にもなりました。
 

私がその訪問で一番印象的だったのが、1人のカンボジアの子供に日本に国際協力として望むことを聞いた時の言葉です。
「カンボジアはこれからどんどん発展していかなければならない。私はこれから国が発展していくために役立つ人間になりたいのです。でもこの国はとても貧しくて、望んでもみんなが学校へ行くことができない。だから日本にはカンボジアの子どもたちが勉強できるよう、教育の援助をして欲しい」といった感じのことを言うわけです。
 

ポル・ポト政権時代、総人口800万足らずのカンボジアで実に200万から300万近くの人間が虐殺されたと言われています。それも知識人から始まり反体制の目をつむため成人が徹底的に殺された結果、1996年のポル・ポト軍崩壊時には人口の85%が14歳以下だったのです。そのため社会資本の整備などはもちろん、すべてがゼロから国を作っていかなければならない状態だった。そういう状況だからこそ出てきた言葉だったのでしょう。私は一緒に連れて行った日本の子どもたちとのギャップに驚きを隠せませんでしたが、一方で機会があれば何かできることはないだろうかと強く思ったのです。

 

学校建設プロジェクトスタート

sc0101それから数年後の2008年、私は佐世保JCの理事長を務めさせていただくことになりました。その年はちょうど佐世保青年会議所の55周年にあたり、記念事業を行うことになっていました。そこで思い出したのがあの時カンボジアの中学生が私に言った言葉です。私は記念事業ということでカンボジアに学校を作ることを提案。理事会でも承認され、プロジェクトがスタートしました。
 

まず最初にGTS委員会を佐世保青年会所内に立ち上げました。GTSとはグローバル・トレーニング・スクールの略称で、その基本は「支援」=「研修」です。私たち一人ひとりは国境を越えたひとりの地球市民であるという考えから、世界各国の訪問や支援活動を通して恵まれた日本の中では日頃体験することができないことに直面することで世界的視野を養い、世界から見た私たちの生活環境や個人の資質の向上を目的としています。つまり学校建設にあたっては、カンボジアの子どもたちへの支援はもちろんですが、事業を通じて私たちのまちづくりを担っていく青年として、広い視野を持って物事を考えていく、その象徴として取り組んだ面もあります。
さて学校建設をすることを決めたはいいのですが、私たちだけの力だけではカンボジアに行って学校を作ることなどできません。言葉も通じませんし、そもそもどこに学校を作ればいいのかもわからない。そこで当時のGTS委員長が外務省に相談し、福岡にあるCMC(カンボジア地雷撤去キャンペーン)というカンボジアで地雷撤去を行っているNGO(当時。現在は財団法人化)を紹介してもらいました。
 

sc0102当時、カンボジアでは海外の学校建設支援がブームになっていたんですが、そのほとんどが首都プノンペンもしくはその周辺に限られていました。その理由は簡単で、仕事がしやすいからです。作業員も確保しやすければ、資材も調達しやすい。しかしそれでは首都以外の子どもたちはどうなるんだと思いました。そんな私たちの思いを知ってか知らずか、CMCが提案をしてきたのがコーントライ村という農村部の村でした。その村はCMCが地雷撤去で活動をしているところで、カンボジア北西部バンテアイミエンチェイ州の中心シソポン市からタイ国境方面へ30キロ程走ったところに位置します。現地調査の際は首都プノンペンからアンコールワット近くのシェムリアップ空港までフライトし、そこから車でコーントライ村まで行くのですが、当時は道路も整備されておらず、未舗装の道を四輪駆動車で4時間近くもガタガタ揺られながら行ったことが思い出されます。

 

多くの人に支えられ完成

sc01032008年当時、コーントライ村エリアの就学率は、小学校では8割以上あるのに対し、中学校は1割未満。実はこの村には、それまで中学校がなかったのがその理由です。当時一番近い中学校でも通うためには20キロ以上の距離を歩かなければならなかったのです。そのため、ほとんどの子どもたちが小学校を卒業しても進学したくでもできないという状況でした。中学校ができれば将来のカンボジアを背負ってたつ子どもたちの大きな助けになる。なんとしても成功させたい。そう思ってプロジェクトを進めていきました。
 
 
 

建設にあたっては、いくら記念事業とはいえ学校建設ほどの大きなプロジェクトをすべてまかなえる予算はありません。そのsc0104ため佐世保市民の皆様にも募金をお願いし、なんとか予算を確保しました。そして着工から5ヶ月、待望の中学校が完成し「CMCコーントライ夢中学校」落成式が催されました。あの時、子どもたちが輝く瞳で学校をみつめる笑顔が忘れられない思い出となっています。
 

学校完成から3年経った2010年から私は毎年9月の卒業式に訪問し、卒業生に卒業証書を渡す役目を務めています。現在コーントライ村では毎年90名ほどが小学校を卒業し、ほぼ同数が中学校に進学しています。しかし卒業できるのは20名程度。まだまだ貧しいために仕事や家の手伝いをしなければならない現実があります。学校があっても貧しくては通えない。そのため次は学校入学から卒業までの3年間をサポートする奨学金制度の創設を目指しているところです。

 

この経験を経営に活かす

このプロジェクトの話は私が所属していた佐世保青年会議所での話です。しかし会社でも同じ事だと思います。今の市場に固執せず、広い視野をもち事業を考えていくこと。そして社会性をもったプロジェクトを行っていくことで、会社としての資質、スタッフとしての能力を伸ばしていくことは、これからのグローバル環境を生き抜く上で必須のことだと感じています。
私はそういう会社になれるよう舵取りをしていきたいと思っていますし、そんな考えに共感し、何事にもチャレンジする意欲を持ったスタッフと共に仕事をしていきたいと思っています。

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